大判例

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福岡地方裁判所 昭和52年(行ウ)24号

原告

丸王印刷株式会社

右代表者代表取締役

山本政治

右訴訟代理人弁護士

稲澤智多夫

被告

福岡県地方労働委員会

右代表者会長

副島次郎

右指定代理人

龍和男

松本啓輔

右訴訟代理人弁護士

高森浩

有馬毅

参加人

総評全国印刷出版産業労働組合総連合会福岡地方連合会

右代表者執行委員長

吉田滋夫

参加人

池田健

右参加人両名訴訟代理人弁護士

別紙目録(一)(略)記載のとおり(井手豊継ほか一一名・編注)

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、参加によって生じた分を含めて、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、福岡労委昭和五〇年(不)第一号不当労働行為救済申立事件について、昭和五二年六月一三日付でなした別紙目録(二)の命令書(以下単に「本件命令書」という)記載の命令のうち、主文第三項を除き、その余を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告の答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外福岡印刷出版関連産業労働組合(以下単に「訴外組合」という)は右組合を申立人とし、原告を被申立人とし被告に対し本件命令書理由第2冒頭のとおり救済命令を求める申立をしたところ、被告は右申立にかかる福岡労委昭和五〇年(不)第一号不当労働行為救済申立事件につき、昭和五二年六月一三日付をもって本件命令書記載どおりの救済命令(以下単に「本件救済命令」という)を発した。そして、同命令書の写は、同月二九日、原告に交付された。

2  しかしながら本件救済命令中、主文第一項記載部分は原告が昭和四九年二月二〇日企業縮少を理由に参加人池田を普通解雇(以下単に本件解雇という)したことを不当労働行為というが、本件救済命令には次のような事実誤認ないし法律判断を誤った違法がある。

(一) 被告が昭和五二年六月一三日付をもってした本件命令書は当事者として訴外組合を申立人としたが、右組合はその期日前の昭和五一年五月九日既に新組合たる参加人総評全国印刷出版産業労働組合総連合会福岡地方連合会(以下単に参加人連合会という)に変更されているから、訴外組合は当事者としての資格を有しない。

よって右命令書は申立人を誤った違法なものであるから取消されるべきである。

(二) 解雇理由を欠くとの点について

(1) 原告は美術印刷、包装用品等の製造販売を業とするものであるが、昭和四八年一〇月頃のいわゆるオイルショックの影響で、原告の筑紫工場においては、取扱い商品がデパート、スーパー関係の包装品、紙袋等の注文が殆んどを占めているという特殊事情もあって、得意先の節約による受註減や紙不足等による仕事量の激減により、従業員は印刷機械の掃除に時間を潰す状態であった。

(2) 右筑紫工場では、右にのべた特殊事情や原告が工場ごとに独立採算制をとっている関係上特に経費節減を迫られていたので、取締役会議における決議に基づいて従業員の配置転換に努めると共に参加人池田健を含む臨時従業員全員、パート、アルバイトの整理を行った。

(3) このように原告のなした本件解雇は、オイルショックによる長期経済不況が予想され、筑紫工場における受註減、操業低下による経費節減、経営合理化が迫られたため、その不況対策としての必要性に基づくものであるから本件解雇は有効なものである。

(三) 原告の不当労働行為意思について

原告が、参加人池田が組合員であることを知ったのは、本件解雇通知後の昭和四九年二月二二日に参加人池田が組合の腕章をつけて来社して、初めて組合員であると明言したからである。しかるに、本件命令は参加人池田の筑紫工場内での社内活動状況を認定し、これを組合の正当行為と判断したうえ、かゝる言動から原告に不当労働行為意思があったと推認するが、これは誤認した事実に基づく誤った推認であって、参加人池田の社内における行動は寧ろ目立ったものではなく、同人が組合員であることを知っていたものは全くいないのであるから、原告に不当労働行為意思は存在する筈がない。

よって、本件救済命令は違法であるから原告はその取消しを求める。

二  被告の答弁並びに主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2について

同(二)(1)(2)の各事実および本件救済命令が原告主張のとおり不当労働行為を認定しその救済を命じていることは認めるが、その余は争う。

3  原告は昭和四九年二月二〇日参加人池田に対し臨時従業員就業規則第二〇条を根拠に企業縮少を理由として本件解雇をしたが、右池田が臨時従業員である点は疑問があり、右解雇は労働組合法第七条第一号の不当労働行為に該当するところ、被告がそのように判断した理由は本件救済命令書第2に示すとおりであるから、本件救済命令には何ら違法はない。

三  参加人両名の答弁並びに主張

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(二)、(三)の事実は否認する。(但し、本件救済命令が原告主張のとおり不当労働行為を認定し、その救済を命じていること、原告の営業内容、筑紫工場における業務品目については認める)

3  原告は受註の激減等経営状態が悪化し、その不況対策としての合理化の必要から本件解雇をしたというが、原告の業績はオイルショック以降も着実に拡大している。殊にその拡大は単に製品価格の値上りによる販売実績の増加だけではなく、受註実績においても一七・一パーセントの増加を計上している位であるから、その営業は順調に伸びていたことが明白である。従って原告のいう本件解雇の必要性には疑問がある。

むしろ、原告は参加人池田が原告に入社後組合活動や組合結成のための準備活動を進めていたことをいちはやく察知し、参加人池田の右活動を嫌悪した結果、本件解雇をしたのであるから、それは不当労働行為に該当するというべきである。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実および本件救済命令が原告主張のとおり不当労働行為を認定し、その主張のとおり命じていることは当事者間に争いがない。

二  原告は本件命令が当事者としての資格を有しない訴外組合を申立人としたことは違法であると主張するので検討するに、一件記録によれば原告主張のとおり訴外組合が参加人連合会に組織変更された事実は明らかであるが、それにより参加人連合会は訴外組合の地位を承継したものというべきである。従ってその変更が昭和五二年六月一三日付でなされた本件命令前であり右命令は申立人をそのまゝ訴外組合としたとしても、それは実質上の申立人である参加人連合会に対してなされたものと解するのが相当であるから違法はないというべきである。

三1  原告が昭和四九年二月二〇日企業縮少を理由に参加人池田を解雇したことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば本件解雇が臨時従業員就業規則第二〇条によるものであること、原告の営業内容、筑紫工場の業務品目が原告の主張するとおりであることは当事者間に争いがないものと認められる。(もっとも参加人池田が臨時従業員であったかどうかについては争いがあるので、同人がその地位にあるとすれば本件解雇は臨時従業員規則第二〇条第三号の「事業の縮少、又は設備の著しい変更によって剰員となった時」又は第四号の「事業上の都合によって止むを得ない事由の生じた時」のいずれかに準拠することとなり、そうでなく本採用を前提とする試用期間中の身分にあるとすれば就業規則(常傭分)第四六条第四号の「止むを得ざる事業の縮少又は合理化により剰員となり、他に適当な配置個所のないとき」に準拠することとなるが、その身分の点はしばらく措く。)

2  本件解雇に至るまでの経過および右解雇理由について、

(一)  前記争いのない事実および(証拠略)によれば次の事実が認められ、(人証略)中右認定に反する部分は信用できない。

(1) 原告は美術印刷、包装用品等の製造販売を営むもので肩書地(略)に本社を、福岡市博多区に福岡営業所を置くほか九州各県一一個所に営業所を有し、肩書地に本社工場、同市南区に筑紫工場、熊本市に熊本工場、山田市に山田工場を設置し、本件解雇当時従業員は約二三〇名であったこと、

(2) 原告(ママ)は昭和四八年八月一日から筑紫工場の印刷工として採用されて稼働していたこと、同年一〇月頃いわゆるオイルショックに伴う物価昂騰、紙不足等による経済混乱が現出し、印刷業界においても印刷用紙の不足、得意先の節約による受註減から、原告工場は従来どおりの操業継続が困難となり、特に筑紫工場はデパート、スーパーを得意先としていたのでその受註減が著しく、一時機械の運転を停止し、操業短縮をすることもあったこと、原告の各工場の経営内容からみても筑紫工場は採算率が悪く、従来からの赤字を累積していたので同工場の合理化が迫られていたこと、

(3) しかしながら原告全体としてみればオイルショック以降も営業実績を着実に伸ばし、昭和四九年の販売実績は昭和四八年のそれを上廻り、受註実績においても一七・一パーセントの増加を計上していること、それは月間売上額が創設以来最高となった月には全従業員に対し大入袋を出す慣習があって、オイルショック直後の同年一一月および一二月の二回にわたりこれを配布していること、原告代表者山本政治は、昭和四九年の年頭あいさつで四八年には大幅な利益を挙げ六ケ月分の年末ボーナスを支給する余力もあったが国内経済の不況浸透に対応するため三ケ月プラス二万円に押えた旨発言したこと、昭和四九年一月の昇給は金七、〇〇〇円位であったが、本件解雇後の同年七月には、業績の好況を反映して二万円から三万円の大幅な昇給があったことによっても裏付けられること、

(4) 原告は取締役会において筑紫工場の合理化推進を決定し、オイルショックを機に昭和四八年から昭和四九年にかけて同工場の従業員約五名を本社工場に配置転換し、パート、アルバイトを整理すると共にその一環として参加人池田および赤星晃を臨時従業員として整理解雇したが、原告は人員削減策を打ち出しながら、一方において前記取締役会の決定と同時期頃に右赤星を採用して、その対策に一貫性を欠いていること、本件解雇後、給食に従事するパート二名を整理したが、その主たる原因は給食廃止に伴うものであるから直接オイルショックに基づく整理とは異るものであったこと、しかも原告全体の業績から合理化を考えるならば、更に筑紫工場から他工場への配置転換も考えられないことではないので本件解雇を同工場における合理化の最後の手段と判断するのは早計であること、

(5) 原告は、昭和四九年七月ごろ筑紫工場に一台数千万円の外国製印刷機械を新設もしくは入れ替えをし、その後数台、外国製印刷機械を購入して設備の近代化を図っているがそれは合理化の目的のためとはいえ、業績の伸びを実証するものというべく、経営が不況に苦しんでいるとは考えられないこと、原告は、参加人池田および赤星の解雇が企業縮少を理由とする整理のためであるとしながら同人らの配置転換について特別に配慮した形跡もなく、又全従業員から右解雇前に希望退職を募るなどの方法もとっていないこと、

(二)  ところで、一般に不況に伴う経営合理化のための整理解雇は従業員の責に帰することのできない事由によって一方的に従業員にその生計の途を閉ざされる結果を導くものであるからその実施については従業員をして納得せしめるに足る客観的理由を必要とし、それが真に事業の経営上やむを得ないものであることを要する。しかも経営者はその人員整理を進めるにあたっては、その目的に反しない限り解雇を避けるための努力を払うべきで、全従業員からの希望退職者の募集又は余裕ある職場から不足する職場への配置転換などによってこれを回避することが可能であれば、その手段を講ずるのが相当というべきである。そこでこれを本件についてみるに、いわゆるオイルショックに端を発した経済混乱により筑紫工場の受註減又は当時景気の見通しが立たず長期不況と低成長経済が予想された状況下で、原告が右工場の合理化を進め一部従業員を本社工場へ配置転換したことは相当であって肯認されるところである。しかしながら前叙説示のとおり原告全体の営業実績はオイルショック以降も相当の利益をあげ、業績を伸ばしているのであるから筑紫工場にいまだ剰員があるとすれば、これを更に他工場へ配置転換するなどして合理化を進めることも可能であったと予想される。そこで原告として筑紫工場の経営を考える場合合理化の最後の手段ともいうべき従業員の解雇を余儀なくされる程、経営が行き詰っていたとは到底考えられない。しかも原告は合理化を進めるについて本件解雇までの間に全従業員の中から希望退職者を募集することもなかったのであるから、以上諸般の事情から判断すれば、本件解雇が事業の経営上やむを得なかったものと解するのは相当でない。

そうであれば参加人池田の身分を明らかにするまでもなく本件解雇はいずれの就業規則によっても整理解雇の該当性を有しないといわねばならない。

3  不当労働行為の成否について

(証拠略)によれば、次の事実が認められ、(人証略)中、右認定に反する部分は信用しない。

(一)  参加人池田は、昭和四二年以来訴外組合(但し現在の参加人連合会)に加入していたが、原告会社入社後も、労働条件の改善、組合加入勧誘のため次のような活動を行った。

即ち、昭和四八年八月下旬頃、筑紫工場における環境不良が作業能率を低下させるとして冷房設備を設置するよう近藤工場長に要望したこと、入社後、参加人池田の稼働するボール印刷の労働条件は苛酷であるとして吉村機長や杉岡係長等にボール印刷手当の支給や定員増を訴えていたこと、同年一二月頃、吉村機長に対して、職場に暖房設備を施すよう要望したこと、昭和四八年九月一九日から同月二四日までの間行なわれた夜間勤務に指名されたが、同月一七日西村係長に対し、かかる二交替制で夜間勤務につける場合は少くとも事前に従業員の承諾をとるべきこと、また、夜間勤務には割増賃金をつけるべきことを申し入れたこと、右の夜間勤務時の昼食代が九月二五日に支払われた夜勤者の給料から差引かれていたので、同月二六日、七~八人の職場の仲間を代表して、西村係長にその是正を求めたこと、参加人池田は入社以来組合員として、原告との間に不必要な衝突は避け、一定の組織力を持つまでは非公然と活動しつつ、同僚に組合加入をすゝめ、昭和四八年九月初め、同僚の小堀盛義を組合に加入させて以来両名は他の同僚に対しても更に組合加入をすゝめたこと、右両名は昭和四九年一月二〇日頃山登りを計画し、同僚を集めては職場の労働条件や組合の必要性を説いたこと、

(二)  これに対する原告の対応をみると、筑紫工場の近藤工場長らは右池田が入社以来機会あるごとに広く労働条件の改善等について会社に要望するので同人の行動に注意を払っていたこと、右池田が小堀と登山を計画し同僚に呼びかけた際も近藤工場長はその集団的行動を嫌い朝礼の席上でグループ行動することを慎むようさとしたこと、昭和四九年二月にも近藤工場長は池田に対し同旨の注意を与え集団的行動を抑制しようとしたこと、右池田の上司である吉村機長は池田と共にかつて重富印刷に稼働していた頃池田が組合員として組織拡大、解雇撤回闘争に活動していた事実を知っていたこと、本件解雇後西村係長が小堀に対し右解雇は池田の組合活動が原因ではないかともらしていたこと、かつて昭和四〇年六月頃、一時丸王印刷労働組合が結成されたが、原告において従業員に対する組合脱退を勧める動きもあって、右組合が消滅するに至ったこともあり、原告はかねがね組合結成を嫌悪していたこと、

(三)  以上のとおり参加人池田は参加人連合会の組合員であり、組合活動家であって、右池田が原告に入社後の活動は組合加入勧誘と広く労働条件の改善を企図したものであるからそれは労働組合ないし組合員の正当な行為というべきである。これに対し原告は本件解雇時までに原告(ママ)が右組合員であることを認識していたと直接認めうる証拠はないが、前記の諸事情からみれば、原告はそれを知っていたか若しくは池田が労働組合結成を企図して行動しているものと考えていたと推認するのが相当である。

そこで、本件解雇は企業縮少のための人員整理としてなされたものと解するのは相当でなく、かえって原告において参加人池田が組合員であること、同人の組合運動をおそれ、これを嫌悪して右池田を企業外に排除するためにしたものと解されるのでそれは不当労働行為(労働組合法第七条第一号)に該当するというべきである。

4  そうであれば原告に不当労働行為の責任があるとした本件救済命令はいずれも相当であって、原告の主張するような違法はないといわねばならない。

よって原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松尾俊一 裁判官 桑原照熙 裁判官 辻次郎)

別紙目録(二) 【命令書】

申立人 福岡印刷出版関連産業労働組合

執行委員長 松永圭次郎

被申立人 丸王印刷株式会社

代表取締役 山本政治

上記当事者間の福岡労委昭和五〇年(不)第一号不当労働行為救済申立事件について、当委員会は昭和五二年六月一三日公益委員会議で合議のうえ、次のとおり命令する。

主文

一 被申立人は、申立人組合員池田健に対し昭和四九年二月二〇日付をもってなした解雇を取消して同人を原職に復帰させ、かつ同人に対し解雇の日の翌日から原職に復帰するまでの間に受けるはずであった賃金相当額(及びこれに対する年六分の割合による金員を含む。)を支払わなければならない。

二 被申立人は、本命令交付の日から七日以内に、下記の文書を縦一メートル、横二メートルの白紙に明瞭に墨書して、本社及び筑紫工場の従業員の見やすいところに二〇日間掲示しなければならない。

会社は貴組合の組合員池田健を昭和四九年二月二〇日解雇しましたが、右解雇が不当労働行為であったことを認め、今後このような行為をしないことを誓約します。

昭和五二年 月 日

福岡印刷出版関連産業労働組合

執行委員長 松永圭次郎殿

丸王印刷株式会社

代表取締役 山本政治

三 申立人のその余の申立は、棄却する。

理由

第一 認定した事実

一 当事者

(1) 被申立人丸王印刷株式会社(以下「会社」という。)は、昭和二五年四月四日設立された美術印刷、包装用品等の製造・販売を目的とする株式会社であって、肩書地に本社を、福岡市博多区に福岡営業所を置くほか九州各県一一箇所に営業所を有しており、肩書地に本社工場、福岡市南区に筑紫工場、熊本市に熊本工場、山田市に山田工場を設置し、従業員数は約二三〇名である。

(2) 申立人福岡印刷出版関連産業労働組合(以下「組合」という。)は、福岡県下にある印刷、出版及びそれに関連する産業に従事する労働者によって、昭和三五年四月一日に結成された労働組合で、本件申立時、組合員数は約一三〇名であり、全国印刷産業労働組合総連合会に加盟している。

二 池田健の入社経過について

(1) 申立人組合員池田健(以下「池田」という。)は、昭和四八年七月一三日、福岡職業安定所の紹介によって、会社の筑紫工場において印刷工を募集していることを知り、同年七月一八日、七月二四日の二回にわたり工場長近藤哲司(以下「近藤工場長」という。)と面接して、以下の点について説明を受け入社した。

(イ) 同年八月一日から勤務すること。

(ロ) 当初は臨時従業員として雇用するが、会社では毎年五月と一一月を本採用時期とする慣例になっているので、池田の場合、三箇月ないし六箇月後の同年一一月若しくは翌年五月には本採用の対象になること。

(ハ) 臨時従業員時及び本採用時の賃金等諸条件。

(2) 会社では臨時従業員に適用される就業規則と常傭ないし常傭を前提とする従業員に適用される就業規則とがあり、「雇入」や「解雇理由」に関して、それぞれ次のような規定を設けている。

(イ) 臨時従業員就業規則第二条「臨時従業員とは、一定の期間を定めて会社と雇傭契約を結び会社の業務に従事する者をいう。

1 日々雇入れられた者。2 特定の期間を限って雇傭された者。」

同第二〇条「臨時従業員が次の各号の一に該当する場合は解雇する。

1 精神又は身体上の障害等によって業務に耐えられないと認められる時。

2 技術又は能力が低劣のため就業に適しないと認められる時。

3 事業の縮少、又は設備の著るしい変更によって剰員となった時。

4 業務上の都合によって止むを得ない事由の生じた時。

5 天災事変、その他止むを得ない事由によって会社事業の継続が不可能になったとき。

6 その他前各号に準ずる止むを得ない事由のある時。」

(ロ) 就業規則(常傭分)第三九条「会社は就業を希望する者のうち詮衡試験に合格し、所定の手続を行なった者を従業員として雇入れる。」

同第四〇条「就職希望者に対しては……書類詮衡・面接・身体検査・その他の試験を行ない、その成績及び従業員としての適格性の良否によって合格者を内定する。」

同第四一条「前条の試験に合格した者には試傭期間又は臨時期間を設けて、この期間に本人の身元・健康状態・技能・勤務成績を審査し、合格したものを従業員として本採用する。」

同第四六条「会社は従業員が次の各号の一に該当するときは、三〇日前に予告するか又は三〇日分の平均賃金を払って解雇する。

1 技能著しく劣り向上の見込みがないと認めたとき。

2 身体、精神に故障があり、勤務に堪えられなくなったとき。

3 天災事変その他、止むを得ない事由のため事業の継続が不可能となったとき。

4 止むを得ざる事業の縮少又は合理化により剰員となり、他に適当な配置個所のないとき。

5 採用の場合における誓約に著しく反する行為のあったとき。

6 その他前各号に準ずる理由があるとき。」

(3) 会社は池田の入社に際し、臨時従業員就業規則を交付し、雇傭契約請書、誓約書を署名捺印のうえ提出するよう指示したが、同人は近藤工場長と面接した際受けた説明からみて、本採用を前提とした試傭期間中の身分にあたると判断し、臨時従業員としての前記雇傭契約請書、誓約書は、会社が特に催促しなかった関係もあって提出していない。

従って、池田が臨時従業員就業規則第二条にいう「特定の期間を限って雇傭された者」としての身分にあたるかどうか、また、その期限がいつまでかを確定する資料は見出せない。

なお、池田以前に同様の条件で臨時従業員として入社した者については、三箇月ないし六箇月後に概ね常傭として採用されている。

三 池田の入社後における社内活動について

池田は昭和四二年重富印刷に勤務していたとき、組合に個人加入し、同四四年に執行委員となり、組織拡大、解雇撤回闘争等の活動を行なってきた。しかし同人は、入社以来会社における組合員が自分一人であり、過去に組合が消滅したという経緯もあり、一定の組織力をもつまでは非公然で活動し、経営者との間に不必要な摩擦をさけるという組合の方針にのっとり、会社における活動には注意をはらい、職場の労働者の要求をとりあげたり、労働条件の改善あるいは組合加入勧誘等の種々の活動を行なった。

すなわち、

(イ) 昭和四八年八月下旬頃、近藤工場長及び岩本工場長代理から池田らが担当しているボール印刷製品の改良の方法について相談された際、池田は冷房設備がなく、暑気高温のために印刷機械が正常に稼動せず、また、そのために従業員の職場環境が悪いことが製品不良化の原因であるので、是非冷房を設置するように要求し、これに対し近藤工場長は「その事については考えている。」と答えた。

(ロ) 池田の担当していたボール印刷の労働条件について、同人はつねづね吉村機長や同僚らに、会社にボール印刷手当の創設、定員増を要求すべきだと話していたが、同人のこれらの要求に対し、吉村機長らから「池田君そんなにいうな。」とか「会社に自分がそんなことを言ったら睨まれるからやめた。」という趣旨のことを言われていた。

(ハ) 同年九月一九日から同月二四日までの間、池田は夜間勤務に指名されたため、西村係長に対して、このように夜間勤務につける場合は事前に本人の承諾を得べきであると要望したが、同係長は「このことは係長会議で決定したことであり、従来からの会社のやり方であるから仕方がない。」という趣旨の説明をした。

また、この夜勤期間中における昼の給食代が池田ら夜勤者の分も差し引かれており、池田が代表して西村係長にこの是正を要求し、同係長はこのことを直ちに近藤工場長に伝え、これらの給食代は翌月の給料で池田らに返戻された。

(ニ) 同年一二月頃池田は職場に暖房設備を施すよう吉村機長に要望したところ、同機長から「自分も再三、ストーブを置いてくれるように要求しているが駄目だ。池田君、あんまり言っていると睨まれるよ。」と注意された。

(ホ) 池田は入社以来、以前から知り合いであった同僚の印刷工小堀正義に組合に加入するように熱心に勧め、昭和四八年九月頃、小堀は組合に加入した。それ以来池田は小堀と二人で昼休み中や勤務終了後、筑紫工場の同僚達に組合加入を呼びかけたり、職場の小さな要求や労働条件の改善等について卒先してとりあげ、同僚と話し合いを持ったり、池田が重富印刷において組合活動をしていた頃の知り合いである吉村機長らに要望したりしていたが、労働組合の組合員として、あるいは労働組合として公式に何らかの要求行動をとったり、交渉申入れを行なったと認められる資料はない。

(ヘ) 昭和四九年一月下旬頃、池田と小堀が中心となって山登りを計画し、同僚に参加を呼びかけていたところ、朝礼の席上、近藤工場長は「最近入社した人達で、こそこそグループを作ってなにかやっているようだが、こういうことはやめてもらいたい。」という趣旨の話を行なった。

また、同年二月中旬頃、池田が仕事のあい間にたまたまスポーツ新聞を読んでいるところを近藤工場長に見咎められ「時間中に新聞読むやつがあるか。」と読んでいた新聞を叩き落された。その際同工場長から「君は仕事はようするが、いつも文句ばかり云う。工場の人をまとめたりしよるが、そんなことはやめてもらいたい。」と厳しく叱責された。

四 池田の本採用について

昭和四八年一一月二一日の取締役会議で池田の本採用は決定されなかったと報告を受けた池田は、近藤工場長に面接しその理由を質したところ、同工場長は「三箇月で絶対に本採用にすると約束していない。会社の従業員本採用制度は臨時工として入社して六箇月経過した者について、五月と一一月の取締役会議において、本採用にするか否か決定することとなっており、池田の場合は入社以来三箇月であるので、その基準に該当せず、取締役会議の審査対象とならなかった。」と説明した。池田は、この近藤工場長の説明に満足せず、その後一~二回同工場長と話合いをもったが、前回と同内容の説明に終った。

五 石油ショックと会社の経営内容について

(1) 昭和四八年一〇月頃、いわゆる石油ショックに伴なう狂乱物価や紙不足騒動等の経済混乱が現出したが、印刷業界においても印刷用紙の不足、入手難及びデパート、スーパー等の得意先関係の節約等による受注減により、会社の仕事量が激減し、筑紫工場においても午前中仕事をして午後は機械掃除をしたり、一日仕事をしては二~三日機械掃除をするというような状態が昭和四九年の二~三月頃まで続いた。

(2) 例年ならば、年間を通じ最も多忙であるこの時期に、受注が減少し、仕事量が減ったものの、他方で製品価格が三倍も四倍にも上昇し、月間売上額は大巾に増加し、会社創設以来月間売上額が最高の月は大入袋を出すという制度を採っていた会社は、昭和四八年一一月と一二月の二回に亘り、一、〇〇〇円入りの大入袋を全従業員に配付し、従来四月、七月に行なっていたベースアップも一月に、仮りのベースアップとして全員八、〇〇〇円引き上げるという措置を行なった。

また、代表取締役山本政治(以下「山本社長」という。)が昭和四九年の年頭挨拶で「我社は昨年大巾に利益が上がった。暮れの賞与も六箇月分を出す余力があったが、今日の狂乱物価の中では一~二箇月先がどうなるか目どが立たないので、会社を維持していくため、三箇月プラス二万円にした。」という趣旨の挨拶を行なった。このように会社は昭和四八年後期の決算において、仕事量の減少にもかかわらず、かなりの利益をあげていたものと推察される。

(3) しかし、昭和四九年の新決算期に入っても依然として経済混乱は治まらず、仕事量は減少したままの状態が続き、工場ごとの独立採算制をとっていた会社の中で、筑紫工場は取扱い商品が石油ショックで一番影響を受けたデパート、スーパー関係の包装品、紙袋等の製品が約九〇%を占めているという事情により、会社の各工場の中で採算率が低位であった。

六 池田の解雇について

前記認定のような事情から、会社は、筑紫工場において、合理化、経費節減を推進することに取締役会議で決定した。近藤工場長はこの決定に従い、筑紫工場において従業員の配置転換、臨時従業員の解雇、パート・アルバイトの整理を行なった。

すなわち、昭和四九年二月一九日、臨時従業員の池田及び昭和四八年一一月下旬臨時従業員として採用された赤星晃の両名に対し、同工場長が口頭で「昭和四九年二月二〇日付で企業縮少のため解雇する。」旨を告げ、さらに「貴殿は臨時従業員規則第二〇条により、昭和四九年二月二〇日付をもって解雇します。」という内容の通知書を送付した。

池田はこの解雇通告を納得できないとして翌二〇日、近藤工場長に解雇理由の説明を求めると同時に、解雇を撤回するよう要求したが、同工場長は「君は良く働いてくれた。解雇するにはしのびないが、筑紫工場が赤字であるので、合理化・企業縮少のため解雇したのだ。撤回はできない。」と答えた。池田は、その後も再三にわたり近藤工場長、山本社長、森本総務部長らに解雇理由を質したり、解雇撤回を要求したが、山本社長らも近藤工場長とほゞ同様の説明をくり返した。この間、池田の解雇理由に関して、従業員の西村係長、吉村機長らは「池田の組合活動が会社にばれて、やめさせられたんじゃないか。」という趣旨の会話を交わしていた。

七 池田解雇後の団体交渉について

池田は池田個人による折衝に何ら進展が見られないため、昭和四九年二月二三日組合の赤腕章を着用して交渉におもむき、申立人組合員であることを近藤工場長に表明し、組合は同月二五日、正式に「1組合員池田健君の解雇を撤回すること。2その他労働条件の改善について。」という内容の団体交渉申入れを行ない、同日近藤工場長と交渉をもったが、同工場長は二月二〇日以降の池田個人に対する説明と同内容の回答を行なった。

組合はその後三月一四日、四月五日、同月一六日、同月一七日、同月二〇日の五回にわたり、近藤工場長・森本総務部長らと交渉をもったが、同人らは前記解雇理由をくり返し説明し、組合の解雇撤回要求に対しては、「解雇を撤回する意思はない」「解雇の自由は認められており、団体交渉する問題ではない。」等の回答をした。

八 あっせん申請及びその後の経過

(1) 組合はこれらの交渉により進展がみられなかったため、昭和四九年四月三〇日当委員会に「団体交渉開催」のあっせんを申請したが、代表権のある社長の出席について主張が対立し、同年六月六日あっせんは不調に終った。

(2) その後、同年六月二一日組合と山本社長の話合いの結果同社長が近藤工場長に権限を委任し、後日団体交渉を開催することが合意された。

同年六月二六日と七月三日の二回にわたり、団体交渉が開催されたが、従前と同様進展はみられなかった。

(3) 同年七月一二日の団体交渉の予定は、組合側の都合により延期となり、その後松永書記長(当時)と森本総務部長の間で、交渉日程の調整がはかられたものの結局はまとまらず、それ以降の組合の団体交渉申入れに対しては、会社は同じような交渉をくり返しても無駄であるとの理由で拒否し、現在に至っている。

第二 判断及び法律上の根拠

申立人は、「池田の解雇は、労働組合法第七条第一号の不当労働行為に該当し、かつ右解雇撤回等を要求する申立人の団体交渉を拒否した会社の措置は、同条第二号の不当労働行為に該当する。」と主張してその救済を求めている。よって前記認定した事実にもとずいて判断する。

一 池田の解雇について

池田は、昭和四八年八月一日会社に臨時従業員として雇傭されたが、会社は、昭和四九年二月二〇日池田に対し、臨時従業員就業規則第二〇条第三号の「事業の縮少又は設備の著しい変更によって剰員となったとき。」及び第四号の「業務上の都合によって止むを得ない事由の生じた時」を理由に解雇の意思表示をした。

(2) 先ず右解雇理由の存否につき考える。昭和四八年一〇月頃、いわゆる石油ショックに端を発した経済混乱により、会社の受注が減じてその業務量が低下し、昭和四九年に入っても景気の回復の見通しはなく、かえって長期不況の到来と低成長経済を予期しなければならない経済情勢にあったことは事実である。

しかし、会社は、創設以来月間売上額が最高の月は大入袋を出すという制度にもとずいて、昭和四八年一一月及び一二月の二回にわたり、金一、〇〇〇円の大入袋を全従業員に配付しており、かつ、昭和四九年一月には全従業員に金八、〇〇〇円のベースアップを実施していること、昭和四九年の年頭挨拶で山本社長が「昭和四八年には大巾の利益があった。」旨を公表していることから見れば、会社は、昭和四八年後期の決算において、受注量の減少にもかかわらず、相当の利益をあげていたものと解せられる。

従って会社は、長期不況の見通しにそなえて取締役会議において、筑紫工場における合理化、経費節減の決議をなしたとはいえ、昭和四九年二月当時、経営合理化の最後の手段というべき従業員の解雇までしなければならない程に経営が行き詰っていたとは到底考えられない。会社は経営の行き詰まりによる合理化をもって池田の解雇理由である「事業の縮少、又は設備の著しい変更によって剰員となった時」及び「業務上の都合によって止むを得ない事由の生じた時」と主張しており、その他の解雇理由の主張、立証がないのであるから、池田の解雇はその理由を欠いて不当であるというべきである。

付言するに、池田が臨時従業員就業規則の適用をうける臨時従業員ではなく、就業規則(常傭分)第四一条にいう試傭期間又は臨時雇期間中の臨時従業員であるとすれば、会社の主張する池田の解雇理由は右就業規則第四六条第四号の「止むを得ざる事業の縮少又は合理化により剰員となり、他に適当な配置箇所のないとき。」に該当することとなるが、この場合においても前記同様の理由から池田の解雇は理由を欠くものである。

(3) 会社は池田が匿名組合員であったのであるから、同人が組合員であることを知らず、従って池田を解雇するにあたり不当労働行為の意思がなかったと主張するので、この点につき判断する。

池田は昭和四二年から申立組合に個人加入し、昭和四四年に執行委員となり、組織拡大や解雇撤回闘争等を行なってきた組合活動家である。そして前記認定した第一の三の(イ)ないし(ホ)の入社後における池田の社内活動は、いずれも広く労働条件の改善を企画したものと解せられるから、その行為自体は労働組合ないし組合員の正当な行為であるということができるし、池田の主張においても右の正当な行為であったことは組合加入勧誘の活動をしていることから明白である。

池田のこのような組合活動に対する会社の態度は、(a)組合員である池田と小堀が登山を計画して従業員に参加を呼びかけたことにつき、近藤工場長が「最近入社した人達でこそこそグループを作って何かやっているようだが、そういうことはやめてもらいたい。」と朝礼の席上で発言しており、(b)昭和四九年二月中旬近藤工場長が池田を「君は仕事はようするが、いつも文句ばかり言う。工場の人をまとめたりしよるが、そんなことはやめてもらいたい。」と叱責している。

その他(c)、池田の上司である吉村機長は、池田が会社に入社する以前に組合員として組合活動をしていた事実を知っていたのであり、(a)池田が解雇された後、従業員の西村係長や吉村機長らが、「池田の組合活動が会社にばれてやめさせられたんではなかろうか。」という趣旨の会話をしていたのである。

上記のような事実から推すと、会社は、池田が組合員であることを知っていたものか、ないしは池田が労働組合を結成しようとする企図で行動しているものと考えていたと推認できる。

(4) 以上のとおり、会社は池田が組合員であることを知っており、池田の解雇につき会社の主張する解雇理由が認められない以上、池田の組合活動に対する会社の前記対応、態度に照らせば、会社は、池田が労働組合員であること、若しくは組合を結成しようとし、又は組合の正当行為をしたために、池田を解雇したものと認めるのが相当である。

会社の池田に対する解雇は労働組合法第七条第一号の不当労働行為に該当する。

二 団交拒否について

池田は解雇が不当であるとして、昭和四九年二月二三日会社に対し、申立組合の組合員であることを表示して解雇撤回を要求し、申立人も同月二五日会社に対し、「1組合員池田健君の解雇を撤回すること。2その他労働条件の改善について」という交渉事項を提示して団体交渉の申入れをなして開始している。(以後の交渉内容は池田の解雇撤回に限られており、その他の労働条件の改善について交渉があった事跡がないので、申立人らが申入れた団体交渉事項は、池田の解雇撤回のみであると解する。)

そして、昭和四九年二月二五日から四月二五日まで六回にわたり団体交渉が行なわれたが、会社側は近藤工場長(取締役)、森本総務部長が出席し、「池田は会社の合理化、企業縮少のため解雇した。その撤回はできない。」旨の回答で終始した。さらに同年六月二六日、七月三日には山本社長から団体交渉の権限委任を受けた近藤工場長らと前同様交渉が行なわれたが、その結果は従前と変らず、その後は申立人らの団体交渉申入れに対して会社はこれを拒絶したものである。

申立人は右経過にもとずく会社の団体交渉拒否が労働組合法第七条第二号にいう不当労働行為にあたるとして、その救済を求めているのであるが、会社の右行為が不当労働行為にあたるかどうかの判断はしばらく置き、前記のとおり池田の解雇は不当労働行為であり、その救済が行なわれているものであるから、ことさら池田の解雇撤回の団体交渉を今後継続しなければならない必要はなくなったものというべく、この点に関する申立人の請求する救済はその必要性が失なわれたものと考える。

三 救済の方法及び法律上の根拠

以上のとおりであるから、本件の救済は主文をもって相当と思料する。

また、申立人の団体交渉応諾を求める救済は、必要がなくなったものであるから、理由がなく棄却する。

よって当委員会は、労働組合法第二七条及び労働委員会規則第四三条を適用して、主文のとおり命令する。

昭和五二年六月一三日

福岡県地方労働委員会

会長 副島次郎

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